2024/10/3
再生医療は、病気やけがで失われた臓器や組織の機能を再生させる革新的な医療技術として、大きな注目を集めています。 iPS細胞の登場により、その可能性はさらに広がりを見せ、再生医療の実用化に向けた研究開発が加速しています。 一方で、再生医療を産業として成功させるためには、まだ多くの課題が残されているのも事実です。 本稿では、再生医療の技術と市場の現状を概観し、日本の現状と課題を分析した上で、再生医療の将来性について展望します。
再生医療は大きく分けて、スキャフォールド治療と細胞治療の2つのアプローチに分類されます。
スキャフォールド治療は、細胞外マトリックスなどの生体材料や、それを模倣した人工材料を足場(スキャフォールド)として用い、損傷した組織の再生を促す治療法です。 具体的には、コラーゲンやプロテオグリカンなどの生体由来のスキャフォールドや、それらを模倣した人工材料を患部に埋め込むことで、細胞の接着や増殖を助け、組織の再生を促進させるのです。 すでに歯周病治療などの分野で実用化が進んでおり、一定の成果を上げています。
一方、細胞治療は、幹細胞などの細胞そのものを用いて、失われた臓器や組織の機能を再生させる治療法です。 患者自身または他人から採取した細胞を培養・加工し、患部に移植することで、臓器や組織の再生を直接促すのが特徴です。 ES細胞やiPS細胞から作製した目的の細胞を用いるのが代表例ですが、患者自身の体性幹細胞を用いるケースも増えています。 細胞治療は、心筋梗塞や脊髄損傷、パーキンソン病など、これまで治療が難しかった疾患への応用が期待されており、盛んに研究が行われています。
細胞治療の研究は、1970年代の造血幹細胞の発見に端を発しています。 造血幹細胞を患者に移植することで、白血病などの難治性の血液疾患の治療が可能になりました。 この成功が、現在の細胞治療の基礎を築いたと言えるでしょう。
その後、1990年代には、ES細胞の樹立により、多能性幹細胞を用いた細胞治療の可能性が開けました。 さらに、2006年のiPS細胞の登場は、細胞治療に大きな革新をもたらしました。 iPS細胞は、ES細胞と同等の多能性を持ちながら、倫理的な問題が少なく、拒絶反応のリスクも低いと期待されているのです。
現在、iPS細胞を用いた臨床研究が、世界各国で進められています。 日本でも、iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を用いた加齢黄斑変性の治療や、パーキンソン病に対するドパミン神経細胞の移植など、先駆的な取り組みが行われています。
また、細胞治療の産業化に向けた動きも活発化しています。 細胞の大量培養技術や品質管理技術の開発が進むとともに、細胞加工施設の整備も各国で進んでいます。 さらに、再生医療製品の承認制度の整備も進み、徐々に実用化への道筋が見えつつあります。
ただし、細胞治療はまだ発展途上の医療技術であり、克服すべき課題も少なくありません。 安全性と有効性の確立はもちろん、コストの問題や、知財戦略、ビジネスモデルの構築など、産業化に向けた ハードルは決して低くありません。 研究開発と産業化のバランスを取りながら、着実に前進していくことが求められています。
再生医療は、まさに医療の新しいフロンティアです。 その実現には、科学技術の進歩だけでなく、社会システムの変革も必要不可欠でしょう。 研究者、医療従事者、企業、そして政府が一丸となって、再生医療の未来を切り拓いていくことが何より重要だと言えます。
日本は再生医療分野で世界をリードする立場にあります。 iPS細胞の発見やその後の研究開発の進展は、まさに日本が再生医療分野の最先端を走っていることの証左だと言えるでしょう。 しかし、市場という点では、日本の再生医療はまだ発展途上の段階にあります。 ここでは、日本発の再生医療技術の特長と、国内の再生医療製品の承認状況を概観します。
日本の再生医療研究で最も注目を集めているのが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)です。 2006年、京都大学の山中伸弥教授がマウスの皮膚細胞からiPS細胞の作製に成功し、その翌年にはヒトiPS細胞の樹立に成功しました。 この革新的な成果により、山中教授は2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
iPS細胞は、ES細胞と同等の多能性(様々な細胞に分化できる能力)を持ちながら、受精卵を破壊せずに作製できるため、倫理的な問題が少ないのが大きな利点です。 また、患者自身の細胞から作製したiPS細胞を用いれば、拒絶反応のリスクを最小限に抑えられると期待されています。
日本では現在、iPS細胞を用いた様々な再生医療の臨床研究が進められています。 例えば、2014年には世界に先駆けて、iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を用いた加齢黄斑変性の治療が行われました。 また、パーキンソン病や心不全、脊髄損傷など、様々な疾患に対するiPS細胞治療の研究も活発化しています。
iPS細胞以外にも、日本発の再生医療技術は数多くあります。 例えば、東京女子医科大学の岡野光夫教授が開発した細胞シート工学は、心筋や角膜、食道などの再生に応用されています。 また、歯髄や脂肪組織から採取した間葉系幹細胞を用いた治療も、各地で臨床研究が行われています。
このように、日本は基礎研究から臨床応用まで、再生医療のあらゆる段階で世界最先端の取り組みを進めているのです。
再生医療の実用化という点では、日本はまだ発展途上の段階にあります。 2021年12月時点で、国内で製造販売承認を取得している再生医療等製品は、わずか7製品に留まっています。
最初の承認事例となったのが、2012年に承認された自家培養表皮「ジェイス」(ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング社)です。 重症熱傷患者の治療に用いられています。 同社は2013年に、自家培養軟骨「ジャック」も承認取得しています。
その後、2015年にはテルモ社の自己骨髄由来間葉系幹細胞「テムセル HS注」が承認されました。 この製品は、急性移植片対宿主病(GVHD)の治療に用いられます。
また、2021年には、腱や靭帯の治療に用いるフーバ・ジャパン社の自家培養間葉系幹細胞「ステミラック注」が承認されるなど、徐々に承認製品の幅が広がりつつあります。
とはいえ、欧米と比べると、日本の再生医療製品の承認数はまだ限定的です。 【表】国・地域別の再生医療製品の承認状況(2021年12月時点)
国・地域 | 承認製品数 |
---|---|
日本 | 7 |
米国 | 22 |
欧州 | 14 |
韓国 | 18 |
日本が再生医療製品の実用化で後れを取っている理由の一つは、再生医療等製品の規制が2014年まで存在しなかったことにあります。 再生医療等安全性確保法の施行により、ようやく再生医療製品の承認制度が整備されたのです。
また、日本の再生医療ベンチャーの多くは、まだ研究開発段階にあり、製品化にはもう少し時間がかかる状況です。 資金面や人材面での課題も指摘されています。
しかし、日本にはiPS細胞をはじめとする強力な技術基盤があります。 再生医療の実用化を加速するための制度改革も進みつつあります。 2021年には、再生医療製品の条件付き早期承認制度が導入されるなど、実用化へ向けた環境整備が着実に進んでいるのです。
日本の再生医療は、今、基礎研究の成果を実用化につなげる重要な局面を迎えています。 産官学が一体となって、再生医療製品の開発と実用化を後押ししていくことが何より重要だと言えるでしょう。 日本発の再生医療技術を一日も早く患者さんに届けるために、オールジャパンでの取り組みが求められています。
再生医療は、医療に革新をもたらす可能性を秘めた夢の技術です。 しかし、その実用化と産業化には、まだ多くの課題が立ちはだかっています。 再生医療を真に社会に根づかせるためには、これらの課題を一つひとつ克服していく必要があります。 ここでは、再生医療の産業化に向けた取り組みと、今後の展望について考えてみたいと思います。
再生医療の産業化を進める上で最大の課題は、いかに収益性を確保するかという点にあります。 再生医療は、高度な技術と設備、そして熟練した人材を必要とするため、研究開発や製造のコストが非常に高くなってしまうのです。 この高コスト構造が、再生医療ビジネスの収益化を難しくしている要因の一つと言えます。
この課題に対し、産業界ではさまざまな取り組みが進められています。 ここでは、その代表例として、製造技術の開発によるコスト削減と、対象疾患の転換・拡大を取り上げます。
再生医療の製造コストを下げるためには、細胞の培養や加工の工程を効率化することが不可欠です。 この点で注目されているのが、大量培養技術や自動化技術の開発です。
従来、細胞の培養は手作業で行われることが多く、熟練した技術者の手を借りなければ大量生産が難しいという問題がありました。 しかし近年は、バイオリアクターを用いた大量培養技術や、ロボットを活用した自動化技術の開発が急速に進んでいます。 これにより、少ない人手でも安定的に大量の細胞を供給できる体制が整いつつあります。
また、細胞の品質管理技術の向上も、コスト削減に大きく貢献しています。 従来は製品化された細胞の品質にばらつきが大きく、歩留まりが低いのが課題でした。 しかし、品質評価技術の高度化やプロセス管理の徹底などにより、高品質な細胞を安定的に製造できるようになってきているのです。
こうした製造技術の進歩は、再生医療製品の大幅なコストダウンを可能にします。 コストダウンは、再生医療の保険収載や普及を大きく後押しするでしょう。 製造技術のイノベーションは、再生医療の産業化にとって欠かせない取り組みだと言えます。
再生医療の収益化を目指す上では、どの疾患を対象とするかという戦略も非常に重要です。 これまでの再生医療は、主に難治性疾患や希少疾患を対象とする傾向にありました。 これらの疾患は、医療ニーズが高い反面、患者数が限られており、市場規模が小さいのが課題でした。
この課題に対し、近年は対象疾患の転換と拡大を図る動きが活発化しています。 例えば、変形性膝関節症や心筋梗塞など、患者数の多い一般的な疾患に対する再生医療の開発が進められています。 これらの疾患は、従来の治療法の限界が指摘されており、再生医療への期待が高まっているのです。
また、美容医療やアンチエイジング医療など、QOL(Quality of Life)向上を目的とした領域への進出も見られます。 これらの領域は、健康保険の対象外ではあるものの、潜在的な市場規模は極めて大きいと言われています。
このように、対象疾患を戦略的に選択し、市場を拡大していくことは、再生医療ビジネスの収益化に直結します。 「医療ニーズが高く、市場規模の大きな疾患や領域を狙う」という発想の転換が、今後ますます重要になってくるでしょう。
再生医療の実用化と産業化を促進するためには、研究開発への戦略的な支援も欠かせません。 この点で重要なのが、競争的研究資金の戦略的な配分です。
日本は、iPS細胞の基礎研究では世界をリードしています。 しかし、再生医療の産業化という点では、必ずしも優位とは言えない状況にあります。 この状況を打開するには、基礎研究から実用化研究、そして産業化までを見据えた、一気通貫の支援が必要不可欠です。
具体的には、再生医療の研究開発に関わる予算を一元化し、その配分を戦略的に行う体制の構築が求められます。 基礎研究、応用研究、臨床研究、そして産業化のそれぞれの段階で、重点的に支援すべき分野や技術を見極め、メリハリをつけた資金配分を行っていく必要があるでしょう。
加えて、再生医療の周辺産業の活性化も重要な課題です。 再生医療の実用化には、細胞の培養や輸送、品質管理など、多岐にわたる関連技術や産業の支援が不可欠です。 これらの周辺産業を育成し、再生医療を支えるエコシステムを構築していくことが、産業化の鍵を握ります。
例えば、再生医療関連企業が集まり、共通の課題解決に向けた取り組みを進めることが有効でしょう。 実際、再生医療の製造工程における品質評価基準の策定や、細胞輸送のルール作りなどが、産業界主導で進められています。 周辺産業も巻き込んだオールジャパンの取り組みにより、再生医療のエコシステムを強化していくことが何より重要です。
以上のように、再生医療の実用化と産業化には、まだ多くの課題が立ちはだかっています。 しかし、産官学が一丸となって取り組むことで、これらの課題を一つひとつ克服していくことは可能です。 再生医療という新しい医療技術を、真に社会に役立つ技術として育てていくこと。 それは、我々に課せられた大きな使命だと言えるでしょう。
日本が誇る再生医療技術を、一日も早く多くの患者さんに届ける。 そして、再生医療を日本の新しいリーディング産業に育てる。 その実現に向けて、オールジャパンで知恵を結集し、不断の努力を重ねていくことが何より重要だと考えます。
本稿では、再生医療の技術と市場の現状、そして日本の再生医療の課題と展望について詳しく解説してきました。
再生医療は、これまで治療法のなかった疾患に対する新たな可能性を開く、まさに革新的な医療技術です。 iPS細胞の登場により、その可能性はさらに広がりを見せており、再生医療の実用化に向けた研究開発が世界中で加速しています。
市場という点では、再生医療は今、基礎研究から実用化への橋渡しの段階にあります。 世界の再生医療市場は、2040年には38兆円規模にまで拡大すると予測されており、巨大な市場ポテンシャルを秘めていることは間違いありません。 ただし、ビジネスとしての収益化には、まだ多くの課題が立ちはだかっているのも事実です。
特に日本の再生医療産業は、世界をリードする技術力を持ちながらも、実用化と産業化の面では遅れをとっているのが現状です。 この状況を打開するには、製造技術の開発によるコスト削減や、戦略的な対象疾患の選択など、収益化に向けた取り組みが不可欠です。 また、研究開発の戦略的支援や、周辺産業の育成など、オールジャパンの取り組みも求められています。
再生医療は、まさに今、大きな転換点を迎えています。 基礎研究の成果を実用化につなげ、社会に役立つ技術として育てていくこと。 それは、再生医療に関わる全ての人に課せられた大きな使命だと言えるでしょう。
日本が誇る再生医療技術を、一日も早く多くの患者さんに届けること。 そして、再生医療を日本の新しいリーディング産業に育てること。 その実現に向けて、産官学が一丸となって取り組んでいくことが何より重要です。
再生医療の未来は、私たち一人ひとりの手にゆだねられています。 夢の医療を現実のものとするために、今こそオールジャパンで知恵を結集し、不断の努力を重ねていく時だと言えるでしょう。 再生医療という新しい扉を、力強く開いていきたいと思います。
吹田真一